田村ゆかりさんの「Interlude 〜aqua〜」 について
はじめに
本記事は、田村ゆかりさんの「Interlude 〜aqua〜」を聴いた感想と妄想を備忘として記すものです。
なお前提として、
- 私は田村ゆかりさんの事を殆ど知りません。のうりんの「秘密の扉から会いにきて」が良かった事と、先日開催されたリリカルパーティーでのトークがかなり面白かったという事くらいしか知りませんでした。
- 私は楽器にも音楽にも歌にも声優にも何も詳しくないです。
「Interlude 〜aqua〜」との出会い
「Interlude 〜aqua〜」は、田村ゆかりさんの「銀の旋律、記憶の水音。」というアルバムの一曲です。Spotifyで「宵待ちの花」という曲をアルバムから聴いた後、自動再生で次の収録曲「Interlude 〜aqua〜」が流れてきました。
…衝撃でした。
声。声しか無い。声しか無いけれど、声だけだからこそ表現出来る情景がある。
私はこの曲(歌?)を聴いて、以下のようなイメージが思い浮かびました。
「透き通った水の中から泡がポツポツフラフラと上って行き、やがて水面でふんわりと弾けていく。そこには、月の光が差している」
声によって想起された情景
少し具体的に言うと、この曲を構成する声には
- 最低音(ウーーー)
- 低音(ウー↑ウー↓ウー↑ウー↓)
- 高音(フワンッフワンッフワンッフワ--ン)
- …
などがあるのですが、そのどの声もがイメージとなって私には聴こえました。最早幻視と言っていいかもしれません。この69秒の一つの曲の中に、一つの物語が見えました。
改めて、私はこの曲を聴いて以下のような情景が思い浮かびました。
最初は音が少なく1番の低音が主で、3番の声は無く、水底のよう。
次いで、3番の声が加わります。気泡が発生するよう。
…声だけから成っている事が、澄み切った水中を想起させます。
次いで、音が増えていきます。気泡がどんどん生まれていくよう。
また2番の音によって、気泡がフラフラしているよう。
次いで、3番の音がどんどん減っていきます。気泡が減っていくよう。
…生まれた気泡はやがて何処に向かうか? 恐らく水面に到達し、弾けてしまう筈です。だから泡の音が減っていく。
また声だけから成っている事で、水面の上に静かな夜がある事を想起させます。
そしてここで、1番の低音が月光もまた表現しているように思えてきます。
そして、最後の泡が上ってきて、夜へ消えていきます。
…アルバム名「銀の旋律、記憶の水音。」の「銀の旋律」とは、殊この曲においては「月光」の事ではないかと勝手に解釈しています。
この曲の位置づけと解釈
「銀の旋律、記憶の水音。」で、「Interlude 〜aqua〜」は中程の位置にあり、転換点としての意味合いが強いです。
この曲の前後周辺で、収録曲の雰囲気は以下のように変わっていきます。
※括弧書きには、私が想像する”時間”を書いています。
前半には、明るく元気で可愛い曲たち。 …(昼)
一つ手前の曲「宵待ちの花」は、しっとりとした歌です。…(夕暮れ~夜)
そしてこの曲。…(夜が更ける)
直後数曲には、 強く激しく艶めかしい曲が多いです。…(夢の中)
私はこの曲によって、アルバムの中での時が進んで、夜が更けていくような印象を受けました。
以上の曲調の変化や時間・物語的な経過も踏まえると、
この曲が想起させる「泡」は、”楽しい記憶”なのではないかと思います。
最初は泡はポツポツ
→それがどんどん増えていく=どんどん楽しくなっていく。
→やがて夜へ消えていく=昼間の楽しい時間は終わり、一人寂しい夜がやってくる。
→しかし泡は夜へと溶けこみ、楽しい夢を見させてくれる…。
この曲の何が衝撃だったか
第一に、アルバムの中にInterlude曲がある。
そもそも、私は声優の楽曲でInterlude曲(ないしIntroductionなどの短曲)がアルバムに入っているのを見た事がありませんでした。
別の畑ですが、ワンオク、UVER、VegasなどのアルバムにはInterlude曲が入っていたりします。アルバムの導入となったり合間で転換点となったり物語を〆たりするそれらの曲が、私は大好きです…。
第二に、情景を想像させる力が凄まじい。
歌詞など何も無い(いやあるっちゃあるのか…?)、音しか無い、声しか無い。
それでいて確かなイメージを抱くことが出来る。
声だけでここまで出来るのかと、凄まじい衝撃を受けました。
これと比べる事が出来る曲を私は知らないので他と比べてどうという話は出来ないのですが、もし似た構成の曲があるなら是非聴いてみたいです。
第三に、この曲の位置づけ
たった69秒の間奏曲ですが、単体としてだけでなく、アルバムという作品の一部としても、確かな物語性を持っているように感じます。この曲はこの位置に絶対に必要だった、そう思えます。
第四に、この曲が存在するという事。
どんな経緯を経て、声だけの曲をInteludeとして収録しようと決断されたのでしょうか。
勝手な想像ですが、田村ゆかりさんがその実力で積み上げてきた実績と信頼・凄まじい期待がそこにあり、田村ゆかりさんがそれを完璧に作り切ったのだと思えて、畏怖と畏敬の念が絶えません。
おわりに
ぜひアルバムを通して聴いてみて下さい。
そこにはきっと、田村ゆかりさん達がアルバムを通して描く、美しい世界と物語があると思います。